文化系ブログ

アート、小説、音楽、映画、文化に関すること全般を雑談的に。

『川の少年』は自分の中の少年の苦さと熱さと、生と死への畏れを思い出させてくれる作品だった。

川の少年 (ハリネズミの本箱)

 

2013年はあまり小説を読まなかったのだが、その中で一番印象に残ったのが1997年に書かれた(日本発売は2003年)ティム・ボウラー『川の少年』"River Boy"だった。

 

この小説は、田舎に向けて家族で車を走らせるところから始まる。

 

主人公のジェスは、泳ぎが好きで、得意な15歳の少女だ。頑固者で、有名な絵描きであるおじいちゃんと、お父さんとお母さんと4人で生活している。おじいちゃんは身体が弱っていて、楽しみの一つであるジェスが泳いでいるところをプールに見に来たとき、胸をかきむしってプールの中に倒れ込んでしまったのだ。

 

それなのにおじいちゃんはすぐに病院を飛び出し、家に帰ってきてしまった。つぎの日からの夏の休暇に、おじいちゃんの故郷へ旅立つことになっていたからだ。60年間、一度も帰ったことのないおじいちゃんの故郷。そこにどうしても行かなければいけないとおじいちゃんは考えていた。そこで絵を描かなければならないと。描きはじめられた絵には、一面に川の水面が描かれていて、そして無題でしか絵を描かないおじいちゃんには今までなかったことに、題名がつけられていた。「川の少年」と――

 

泳ぎが好きな少女。読んでいて、私はその人のことを思い出した。イルカのように泳ぐのが得意だった。平泳ぎも背泳ぎもクロールも、バタフライでさえも難なくコースを泳ぎ切った。ジェスは、自分のペースにのめり込み、夢中で泳ぐ。ストロークにあわせて、寺宝のように規則的なリズムで息づかいを刻む。泡が唇を小さな魚のようにくすぐる。その人も、泳いでいるときに、そういうことを感じ、考えていたのだろうか。いや、そうではないだろう。あの人はただ泳いでいた。そう、ただ泳ぎ続ける人だった。

 

ひとつのことに熱中し、何時間でもやり続けられる。それは少年の特徴だ。しかし、ただ好きなだけで純粋にのめり込むだけにはなれないというのが15歳という年齢だ。すでに、忘れてしまいたいことも心に刻まれ、見たくないことも見てしまっている。傷つくことも知っている。ただ好きなだけでなく、のめり込むためにのめり込む、そういう熱中があることも知っている。

 

繊細な少年の、少女の心。この先の展開は描かないけれども、ここに広がる世界が自分にとても親しかった、あるいは今でも親しいものであることが私にはわかった。そして多くの人にとっても、思いだしてもいい、あるいは思い出すことができる何かがあると思う。

 

こうして読んでいて思うのは、私が面白いと思い、また魅力的だと思う子供向けの作品は、どうもイギリスの作品が多いということだ。私の好きな作品というのは基本的にある種の神秘性が書かれていることが多いのだけど、イギリスの作品にはそういうものが多くある。イギリスではもともと神秘主義とかスピリチュアリズムみたいなものが強く社会に影響力を持っていると言われているけれども、彼らの根幹にあるのは神秘主義そのものではなく、神秘現象そのものもまた経験の一つとして受け入れる、言わば神秘主義的経験主義みたいなものではないかと思うし、たぶん私が持っているメンタリティというのもそういうものに向って開かれている部分があるのだろうと思う。

 

そして、それがこういう小説で現れるのは、少年(少女も含む)はそういう神秘に開かれた存在だということなのだろう。そのあたりに、私がいつまでも少年小説に魅かれる何かがあるのではないかと思う。

 

読み終えて、思った通り、とてもよい話だった、と思った。この小説は、1998年に『ハリー・ポッター』を抑えてイギリスの児童文学賞であるカーネギー賞を受賞しているそうだが、それだけのことはあると思う。

 

いや、私はハリーポッターを読んだことがない(テレビで少しだけ映画を見たことはあるが)のでその評価が妥当なのかどうかはわからないが、この作品が、少女がはじめて触れる死と生の問題を、たたみかけるような場面展開で語っているところは感動的で、ラストの方になると本当にすごいなと思う場面がいくつもあった。その場面について書くのはどうも「ネタばれ」になってしまうので気が進まないのだが、それでもごくありがちだと思ったいろいろな設定が、最後になって「これはすごい」になって行くところが、この物語の非凡なところだと思った。水源から海まで。これがたとえらているものの意味が、わくわくするものを隠している。

 

この小説が『ハリー・ポッター』よりも評価されたということは、たぶん何か大事なことを示唆しているんだろう。そしてそういうことも含めて、今年読んだ小説の中で、最も広がりのある作品だったのだ。