「ユニットバス発想法」を思いつきました。暗闇の中で自由な感覚を取り戻し、新しい発想を生み出すための方法です。
ユニットバス発想法、というものを思いつきました。
これは、ユニットバスリラックス法、と言った方がいいかもしれません。
とにかく、裸になってお風呂に入り、真っ暗にして湯船につかる、というものです。そうすると何も見えないから目が休まります。湯船で冷えた体を温め、手のひらで手足や胴の肌をさすると、余計な老廃物が取れてすべすべしてきます。
普段は頭や眼の感覚に惑わされて鈍っている、鈍感になっている身体の感覚が目覚めて、解放される感覚になります。真っ暗なのがいいのです。目を開けても目を閉じても真っ暗。これは本当に目が休まります。
明るいと、目を開けるといろいろなものが目に入ってきて、目に入ってくると必ず脳は認識するわけで、もちろんそれは生きるために必要なことなのですが、生きることも大変なことには違いありません。 現代人は「目の独裁」と言われるくらい目の感覚に支配されているので、目の感覚とそれに接続する脳の認識機能を休めるだけで、かなりリラックスできるわけです。 リラックスすると緊張しているときには思いがけないようなアイデアが浮かぶ。だからリラックスもするけれどもさらにその先に重点を置いて、「ユニットバス発想法」と名付けたわけです。
私がこのアイデアを思い付いたのは、三つルーツがあります。
一つは、「あたたかくて暗い」という環境が、寝床の中に似ているということです。
私は毎朝、起きてすぐ自分の思ったことを記す「モーニングページ」というのを書いています。これはジュリア・キャメロンという人の提唱している『アーチスト・ウェイArtist's way(邦題『ずっとやりたかったことを、やりなさい』)』で提案されているやり方で、毎朝ほかのことに煩わされる前にまず3ページ、何でもいいから書くというノートです。私は200字詰めの原稿用紙掛けの縦書きノートに書いているのですが、3ページがなかなか書けずに呻吟するときもあればどんどん書いてしまって15ページくらいになることもあります。最低3ページをノルマにして、上限なしというわけです。ここからいろいろなことが発想されて、それがブログの材料になることも多いですし、その日に実行する計画が描かれることもあります。ネガティブなことも遠慮なく書いていいのですが、書いているうちに解決策が見つかったり、あるいは気持ちが整理されて前向きになることも多いです。
私はそういうノートを毎朝書いているのですが、その内容が起きて机の前に座ってからではなく、まだ寝床の中でうつらうつらしているうちに思いつくことが多いのです。まだ寝たいなあと思いながらアイデアを思いつくと、寝床のそばに置いてあるノートとペンをとり、枕元の明かりをつけて少しだけ書いてまた寝る。するとまたそれに関連したことを思いついてまた書く。今度は全然関係ない方にとりとめない考えが飛んで、あれ、これもいいじゃんということを思いついたりします。そうやってどんどん書いているうちに20ページくらいになることが時々あるわけです。
しかしどういうわけか、目を覚ましてきちんと机に座り、書こうとしてもなかなかそんなふうに自由な発想は湧いてきません。どうしたらそうできるんだろうと思っていたのですが、こうやってお風呂の中で真っ暗にすることで同じ環境が生まれることに気がつきました。
寝床の中と違って覚醒していますから、思いついたことを覚えている時間も長いでしょう。もちろんお風呂の中でも手元明かりを用意したり濡れても大丈夫な筆記用具を用意するという手もありますが、私はそこまではやっていません。お風呂の中である程度考えがまとまったらざっと出てきちんと体を吹いて着替えて、さっとパソコンの前に座って書きはじめる。今もそうやって書いています。
別の話ですが、私は真っ暗にして風呂に入るとリラックスするということは以前から気がついていました。どうしても目を使いすぎるので、休めるために自分に強制して暗いところに行くといいなとは思っていました。でもそれを発想法に結びつけたのは今日だったので、それを文章にしてみているわけです。
二つ目は、茂木健一郎さんが著書で紹介していたDialog in the darkというイベントです。
これは真っ暗な中を歩いていろいろなものに触れ、視覚以外の五感をフルに使って生きている感覚を目覚めさせるものだろうと私は解釈しているのですが、そういうイベントがあるということ。私はまだいったことはないのですが、きっと鮮烈な体験だろうと思います。なかなか外苑まで出かけるのは大変ですが、自宅のユニットバスで体験できるならそれもよいのではと。
たまたまうちのユニットバスが構造上外に面していないのでドアを閉め切れば真っ暗になり、本当に暗闇が実現できるというメリットがあるわけですけどね。(これも入居した時は外が見えないお風呂なんてと思ってましたが、マンションだと仕方ないことが多いわけですよね。それが却ってメリットになるということも嬉しい発見でした。)
発想が行き詰るというのは、結局考え方の筋道を変えられなくなってしまっているということです。ペンを握ったまま新しい発想をしようと思ってもなかなかできなくても、散歩に出かけたとたんにアイデアを思いついたりするのは、違う回路が開くからですよね。
すべての人間に与えられている『違う回路』というのは、つまりは「眼と脳」、「視覚と思考」以外の感覚を呼び起こすということだと思います。Dialog in the darkも結局は同じことを目指しているように思います。ユニットバス発想法の方がより個人に沈潜した体験になりますが、それはいろいろあっていいと思います。
三つ目は、暗闇の中にいるとリラックスするとともに頭がさえてくるという話です。
真っ暗な部屋で人はどれくらい耐えられるかという実験がアメリカで行われたという話なのですが、人はその部屋に入ると90%以上の人がまず眠るらしいのです。この眠りは非常に深く、本当にリラックスするのだそうです。またその部屋に数時間いることで頭が冴えてきて、試験の前などにやると今まで学んだことが頭の中ですごくつながってきて、目覚ましい成果を上げる場合があるということなのです。
これは、小学生のころに読んだ、小池和夫原作・川崎のぼる作画の『ムサシ』(1974)というマンガで読んだことです。ムサシは宮本武蔵がモデルですが、沢庵がモデルの人物に洞窟の中に閉じ込められ、その中に籠って兵法書を読んで武術を悟る、みたいな内容だったように記憶しています。そのように、暗闇には人間の力を最大限引き出す「場の力」を秘めているわけです。
しかし、ここでこのユニットバス発想法のある種の危険にも気がつきます。
つまり、それだけ力を引き出せるということは、人間をある種の危機に追い込んでいるということを意味するからです。
暗闇というのは、基本的に生物にとって、望ましいことではありません。視覚に頼りすぎるのは現代人の弱点ですが、視覚に頼るように文明が発達したのは、それだけ視覚は生存を維持するために都合の良い知覚であるからです。上に上げた三つの例は、そういう危機的な状況だからこそ人はある種のリミッターを外すことができる、外さざるを得なくなるという話です。暗いところで躓いたり転んだり頭をぶつけたりする危険もありますし、もとより閉所恐怖症や暗所恐怖症の人には向かないでしょう。
また、『ムサシ』で書かれた実験には、丸1日を超えて暗闇の中にいつづけると幻覚が見えたり幻聴が聞こえたり、ついには精神に異常をきたしたりする例も報告されていると書かれていました。私もせいぜい風呂に使っている時間は長くて20分ほどですので、当然ほどほどにしておくという配慮はされなければなりません。
ただ、そういう意味も含めて安全に十分配慮してやってみると、けっこう効果がある人もあるのではないかと思います。 文章の締め切りを逃れるために、真っ暗にしてお風呂につかるというのも逃避の願望を満たしリラックスもして、結構いいかもしれません。それでアイデアがわいたら一石三鳥です。
というわけで、十分注意してやっていただければ、効果がある場合もあるのではないでしょうか。ユニットバス発想法のアイデアでした。
(このエントリは、Feel in my bones、Eyes and Wind、Feel in my bones and Twitterの三つのブログに載せました。)