文化系ブログ

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表現の永遠の課題:作り手としてやりたいように表現するのか、誰にでも分かりやすく表現するのか

スタジオジブリの広報誌『熱風』が届いた。今回いろいろ考えさせられたのが『かぐや姫の物語』を見た「爆笑問題」の太田光と、高畑勲監督との対談。『かぐや姫の物語』は線で囲って色で塗り籠める「普通の」アニメに対し、ラフな線が動き、すべてを塗り尽くさないアニメーションであるわけだが、塗り尽くしたアニメよりもむしろそちらの方が返って実感が感じられる、ということについて話していた。この辺りのことは今までもいろいろな場所で語られてきたことなので、ああ太田もこの話をしているのだなと思ったのだけど、そこから敷衍して演技論に行ったのが面白かった。

 

「実感を伝える」ためには、『どの程度芝居をするのがいいのか』という話だ。私も芝居をやっていたので共感できるのだけど、演技は分かりやすく大げさにやればいいというものではない。

 

例えば朗読のとき、どこまでリアルにすればいいか。棒読みではつまらないし素っ気ないが、リアルに強調しすぎてもつまらない。伝えたいのは本物ではなく実感だから、どうやればそれが伝わるのかるのが難しい。そして、それは見る側の想像力、感じる力をどう考え、どうとらえるかと言う問題でもある。

 

高畑監督は『娯楽映画としてのアニメーション』なのだから、分からない、伝わらないということがあったら作り手が至らぬせいだ、と言っているのはちょっとへえっと思ったが、確かに『かぐや姫の物語』は高畑監督の作家性が存分に発揮されているとは思うけれども、それでもやはりどんな人が見ても感動するものに仕上がっていたと思う。やはりそこのところをちゃんと考えているのだなということは改めて思った。

 

この辺は書きながら、今の私で言えば、ブログの書き方の問題と同じだなと思った。このブログなどは、割合素っ気ない書き方で書いている。これは例えば、棒読みに近い朗読のような、分かる人は分かるだろうと言う感覚に基づく書き方だ。しかし例えばアメブロで書いている『個人的な感想です』などではなるべく丁寧に、ここまで書かなくても伝わるんじゃないかと思っても、より徹底的に分かりやすく書くことを心がけている。

 

どの辺りを正解と考えるかは、なかなか難しい。内容にもよるのだと思う。しかし私もなんと言うか、なるべく表現を切り詰めていきたいという傾向があって、より素っ気なく書いても伝わるように書いてみたいと言う気持ちもある。しかし実際のところは、自分ではくどすぎると思うくらいに書く方が、受け取る方にはちょうどくどくも素っ気なくもない感じになっているのかな、という印象が今はある。自分と同じ前提を共有している人はあまりいないのだから、説明しすぎてし過ぎなことはないのが実際のところかもしれないと思う。

 

高畑監督は、素っ気ないと思われそうな線のアニメーションでくどくなく実感を持たせるということを実現させているわけで、それを太田は絶賛しているのだ。やりたいことをやりながら、多くの人に見てもらい、興行的にも成り立たせる。それはある種の神業だが、というか結果的にはなかなか興行的に成り立つというには無理がある制作費がかかってはいるのだけど、動員という点ではかなりの成績を出しているのは凄いと思う。

 

私の文章もこの8年越しの作品並みにするのは難しいけれども、まだまだ工夫の余地はあるなと思った。

 

 

それは表現というものがいつもぶつかる、普遍的な課題の一つなのだと改めて思ったのだった。