文化系ブログ

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堤清二氏とセゾン文化の文化的功績は、文化のインフラを作り、カルチャーへの階段を架けたこと

昨年の11月、元セゾングループ総帥、堤清二氏が86歳で亡くなった。

堤清二という人と、その「文化的功績」に関して、少し書いてみたい。

彼は80年代、それまでになかった形で、文化のインフラストラクチャーを作った、それが彼の功績だと思う。それは「セゾン文化」という形で今でも語られている。「文化を商品にする」という方向はさまざまに取り組まれてきたし、たとえば同じ時代でいえば角川春樹は映画や小説などそれまで「金にならない」アートや文学と思われていたものをメディアミックスという戦略を使って大衆が消費する商品にすることに成功した。

しかし逆に、「商品を文化にする」という方向に彼ほど成功した人はいないのではないかと思う。セゾングループバブル崩壊とともに衰退し、堤も最後は経営者としてではなく小説家や発言者として、つまり文化人として取り上げられるのがもっぱらになったけれども、バブル崩壊の荒波を越えて、というかその過程の中でかなり多くのものが失われてしまってはいるけれども、いまなお残るインフラがその時代につくられたこと、また「文化的インフラとはこういうもの」という初期的なスタンダードを作ったことは大きな功績だと思う。

また、セゾン文化がサブカルチャーハイカルチャーの間の断絶地帯を埋める働きをしたということも挙げられるのではないだろうか。洋服でいえばヨーロッパの高級ブランドには手が届かなくても、日本の従来の既製品よりは遙かにセンスの優れていて何とか手が届きそうなDCブランドを強くプッシュしたり、いままであまりなじみのなかった現代美術を西武美術館で連続的に取り上げたりした。当時は「みたい展覧会」は上野の西洋美術館よりはデパートの中の美術館でやっている感じで、私が初めてマグリットを見たのは船橋の西武美術館だったし、ロートレックを見て雷のような衝撃を受けたのも確か池袋の西武美術館だった。

私がヨーロッパ映画をたくさん見たのも、シネヴィヴァン六本木やシネセゾンなど、やはりセゾン系の映画館だった。先日映画についてのツイートをもとにエントリを書いたけれども、あの中のかなり多くの部分はそういう映画館で見たものだった。

文化的なインフラを整備し、手の届かないものだったハイカルチャーへの空隙の階梯を示し、そこで働く多くの人々を養成し、それに憧れる多くの若者を生んだ。当時セゾン文化に関わって現代でも一線の活躍をしている人はその象徴的な存在である糸井重里をはじめとして(セゾン文化と言えばまず第一に彼のコピー「美味しい生活」だろう)数多いし、その文化を空気のように呼吸して成長した我々の世代から多くのクリエイターや批評家が生まれてきている。

あの時代のあの文化を表層的な、あるいは一時的なスノッブな現象だと否定する意見もあったしいまだにあると思うのだが、実際には文化に関する大きな構造転換を担ったと言っていいのではないかと思う。

それは、おそらくもっともその恩恵も、また「セゾン文化」から「ハイカルチャー」への巨大な空隙に放り出されて愕然とするショックも味わった世代の一人である、私の実感だ。

それは中途半端で不十分だったかもしれないし、しかも道半ばでバブル崩壊に遭遇するという不運もあったが、そこから根付いて芽吹いたものを、正当に評価していきたいと思う。

堤氏のご冥福をお祈りしたい。

このエントリは2013年11月28日にFeel in my bonesに掲載したものです。