文化系ブログ

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『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(4)いわさきちひろの絵の「強さ」

 

あめのひの おるすばん (至光社国際版絵本)

 

(その3)からの続きです。

 

内面の激しさが自らの身体まで蝕みながら、そうしてまで描き続けた彼女の絵は、甘いだけのものであるはずがない。パンフレットでスタジオジブリ高畑勲が描いていることだが、「描かれた子供たちはほとんど笑っていない」。そう、彼女の絵の強さはそこにあるのだということに私も初めて気づいた。

 

それは、現代で言えば奈良美智の絵も同じことが言える。性別不明の彼の絵の子どもが、笑っていることはほとんどない。彼の絵は記号性が強いが、ちひろの絵は水彩の可能性を追求し、クロッキーやパステルの質感を残している。技法的な実験を実はすごく行っている。

 

今こうしてみていると、この絵はロートレックの描き方を使い、この絵はムリーリョの描き方を取り入れ、と本当にさまざまな技法的引用を駆使しているように思われる。私は彼女の絵を技術的に分析したことがないから気が付くのはそういう部分的なことだけれども、実は彼女は相当多くの絵を研究し、自分の作品に生かしているのではないかと思う。あの特徴的な絵の具のにじみを生かした絵も、水墨画の技術を研究していないはずがないと思う。

 

おそらくはそういう絵画技術史上のトップクラスの探求をしながら、作品としては「かわいい」子どもの絵としてまとめ、「甘い」という評価を聞き流しながら、生活を成り立たせるための絵を描き続けたのだ。

 

労働者側の弁護士として、さらには共産党国会議員として激務でありながら収入があまり上がらない彼らの家庭を支えていたのが彼女の作品だったということを知った時、私はかなり驚いた。そしてそういう状況にありながら、挿絵画家としての権利を確立するために出版側に注文を付け、原画を必ず返却させることと大事に扱うこと、画料だけでなく印税も支払わせるといった当たり前の要求を実現させることに努力し、「面倒な画家」として仕事が減りそうになったときも、息子に「うちはこれから貧乏になるから覚悟してちょうだい」と言って戦い続けたのだという。その強さあっての、彼女の絵なのだ。


(その5)に続きます。