映画『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(5)傑出した才能と早すぎる死
(その4)からの続きです。
私が久しぶりに映画館に足を運ぶ気になったのも、そうした創作者としての彼女の姿に出会いたかったのだなと思う。そしてそれは、十分にかなえられた。
特に前半のデビューまでの苦闘は、とても見ごたえがあった。後半は少し間延びした感があったが、それはやはり彼女を「反戦」であるとか「かけがえのない子供を描いた」といった手垢のついた言葉で括り始めると、みるみる見る気が失せるという感じになるのはまあやむを得ないし、そういうものを期待して見に行った人多いだろうから、そういう人へのサービスとしてもそういうところは避け得ないものなんだろうなとは思った。
帰ってきてパンフレットを読み直してみると、彼女は厳しい評価をされていたという部分ばかりが強調されていたけど、実はデビュー作の紙芝居で文部大臣賞を取り、37歳で初めて絵本を描き、その前後に小学館児童文化賞、厚生大臣賞、サンケイ児童出版文化賞と次々に受賞している。その才能は明らかに傑出していたのだ。
そして画業で一家の収入を支えながら44歳で結婚に大反対した夫の両親と同居、48歳で夫が代議士になり、51歳で脳血栓で倒れた実母を同居させて、手伝いの人も住み込んでいたのだという。
当時の松本善明は共産党の国対委員長で当然ながら新聞社の夜討ち朝駆けもあり、夫と自分の兄弟たちが親を訪ねてきたりもし、「2階は家族のものだけど1階は社会なの」という状態で絵を描き続けていたのだという。
そして入退院を繰り返し、早すぎる死。本当に凄絶な一生を送ったのだなと思う。
彼女の遺作は、小川未明の童話『赤い蝋燭と人魚』だった。