文化系ブログ

アート、小説、音楽、映画、文化に関すること全般を雑談的に。

ブログのタイトルを「文化系ブログ」に改題します

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              ドメニキーノ『クマエの巫女』

 

このブログの表題を、『文化系ブログ』と改題することにした。

 

「Eyes and Wind」というのは、私がずっと以前、今世紀初頭ごろに「まなざしとかぜ」という写真サイトをやってて、その写真に文章をつけて何かポエジーを発生させられないかということを考えながら作っていたサイトのタイトルだったのだけど、この表題で現在の内容では何を言いたいのかよく伝わらないだろうな、と最近思っていた。

 

どうもこのブログに私は何を書きたいのか、どうも焦点が絞れていない感じがあったのだ。

 

文化系のこと全般に関していろいろ思ったことを書く、というスタンスだったのだけど、なんだか何を書きたいのかはっきりしない。音楽について書き続ける情熱もネタもないし、美術についてもそれについて毎日書くほどの持ちネタはない。小説についてもそうだ。

 

ならばなぜ、そういうものについて書くブログを書こうと思ったのか。

 

ということを、今日丸善日本橋店のエスカレーターを上りながら考えていた。

 

私は基本的にいろいろなことについて話すのは好きだし、相手も自分と似たような分野に興味を持っている人と話すのは楽しい。

 

映画とかマンガとか、本当に「好き」なものについて話し出すとディープになっていくから、些細な好みの違いでしらけてしまったりするので、文章に書くのはいいけれども話のネタとしてはそこまでのめり込んでないものに対して幅広く話せた方が楽しい。

 

まあつまり、私は基本的に社交好きなんだと思う。どんな人とでも、というわけにもいかないところがこういうものは面倒なわけだけど。

 

つまり社交の場で、こういうこと知ってる?はい知ってます。こういうのはどうですか。へえ、それは知らなかった。そうなんだ。そうなんですよ、これはどうですか。あ、知ってる知ってる、それ面白いよね。面白いんですよ。

 

そんな程度のたわいもないトークが延々と続く、というような相手は、むかしは結構事欠かなかったものだけど、最近はやはり数少ない。

 

だから多分、ここにはそういう、文化系のこと全般に関して、雑談的にいろいろネタになりそうなことを書いてみたいと思ったのだなと思う。

 

読んだ本の感想とか、そういえばこういうことがあったとか、文化系全般に関して、そんなネタ的なことを不定期に書くようにしたいと思う。

 

お付き合いいただけると幸いです。

浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』は19世紀音楽史を知るのに大変良い一冊だった。

フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)

 

浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(新潮新書、2013)読了。題名から感じる雰囲気とは全く違い、19世紀中盤の音楽史・文化史を概観し、またリストという巨大な天才の生涯を概観することができる素晴らしい本だった。

リストはイメージとしてはショパンのライバルという感じで、だいたいショパン(シンパ)目線で書かれた本を読んできたので、何となくいけ好かない感じのイメージになっていたのだけど、実際にはかなり違ったようだ。

ショパンポーランドの魂、という感じにまでポーランドとの同一化が進んでいるのに対し、リストとハンガリーの関係はもっと複雑で、そのあたりも名前が知られている割には作品があまり演奏されないこととも関わっているのかもしれない。この本では、リストは「故郷のない人間」として書かれていて、子孫もまた「リストはヨーロッパ人でした」と言っているのだという。彼はロシア・トルコからポルトガルまで、全ヨーロッパをまたにかけた演奏活動を何年も続けていて、そういう意味でコスモポリタン演奏家の走りだったようだ。

 

 

Années de Pelerinage Book 1: Switzerland (Selection), Le Mal du Pays

Années de Pelerinage Book 1: Switzerland (Selection), Le Mal du Pays

  • ラザール・ベルマン
  • Classical
  • ¥150

 

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に出てくるリストの『巡礼の年 第1年』の「望郷」ないしは「ホームシック」とでも訳されるべき"Le mal du pays"などを聞いていると、確かにショパンのような華やかさはなく、また深い精神性を感じさせて、そういう意味でとっつきにくい作品であるように思った。

ヨーロッパ文化史の解釈もなるほどと思うことがあり、たとえば「エレガント」というのは貴族の美意識で、モノよりも精神性を重んじ、「シック」というのはブルジョアの美意識で、「もの」を重視する、というのもなるほどと思った。

リストはベートーベンの弟子だったツェルニーの教えを受けていて、そういう意味ではベートーベンの孫弟子にあたる。ベートーベンの後期のピアノ曲を演奏会で盛んに取り上げて、その素晴らしさを世間に知らしめたのもリストであり、「リサイタルを開くピアニスト」という存在が市民権を得たのもリストの功績だったようだ。

また同時代の音楽家の誰よりも長命だったリストは、後進の音楽家を励まし、新たな道を切り開いている。リストの娘のコジマはワグナーの妻になったが、そのワグナーよりもリストは長生きし、たまたまではあるが小島の尽力もあってワグナーの殿堂となったそのバイロイトでリストはなくなり、今でも葬られているのだという。

そのほかいろいろなことが書かれていて、すべてのことを吸収しきれていないが、この本は本当に力作だと思う。帯に「音楽の見方が一変!」とあり、誇大広告だろうと思って見過ごしていたけれども、実際音楽史の知識が足りない私にとっては、それくらいのインパクトはあった。

読んで、また聴いてみないと、この本の内容は味わい、吸収し尽くせない感じがする。

お勧めできる一冊だった。

松田奈緒子『歌』は、中原中也や芥川龍之介を題材に、独特の絵で作品世界に切り込んだ、読み応えのある一冊だった。

歌 文芸ロマン (ホームコミックス)

 

松田奈緒子『歌』(ホーム社、2013)を読んだ。

 

昨日は銀座に出かけて教文館書店で本やマンガを見ていた。2冊買ったのだが、1冊は浦久俊彦『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』で、もう1冊はこの本。ぱらぱらと立ち読みした感じが面白く、久しぶりに予備知識なしにカンだけで買ってみた。

 

これは文学を扱った短編集。最初の作品の『歌』は主人公が中原中也。中也の恋人だった『ガルボ』と呼ばれる女性が、小林秀雄のもとに奔った、その時期のことを描いている。

 

「俺は宇宙で一人しかいないんだ!生まれついてのこの命(こころ)をかえられようハズがないじゃないか…」

 

孤独と寂しさと、自分であることの辛さと愉しさ。

 

文芸マンガにはいろいろあるが、カリカチュアライズされた作者の線が、とても内容にマッチしているように思った。

 

それから、芥川龍之介の短編を題材にした二本。『昨日の彼女は』は「カフェーの女給」であるけれども、自立してしっかりした人生観を持った少女・お君と、有閑マダムの若いツバメで羽振りはいいがが実際にはレストランの下働きでしかない寅吉との恋の話。あまり美人でないお君が、じつは「自立した女」で、永井荷風の「つゆのあとさき」を思い出した。あの主人公も「君」という字がついていた。

 

「モデルA」は貧乏のどん底にあった若い画家が、ハーフのモデルを殺したのかそれとも夢だったのか、成功して名を挙げた今でもわからない、という話。こういう「薮の中」のような芥川龍之介のストーリーにも、作者の絵はあってるなあと思った。

 

なんと言ったらいいのだろう、オスカー・ワイルドの『サロメー』の挿絵を描いたビアズリーのような絵。その線で大正から昭和の東京を描くとこういう風になるんだなと思う。

 

オリジナルの2作品、「一夜のサロメ」と「侘助」の味わいは、80年代に好きでよく読んでいた山田章博の『人魚變生』に似ているように思った。山田さんは当時は大正ロマンと古典SFの作風だったので、時代的にも近い。

 

「一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ」というのか、そういう世界を描くのに、この線は本当にあっていると思う。

 

あとで知ったのだが、松田奈緒子は今書店に山積みになっている、『重版出来!』の作者あった。

 

マンガと文学の好きな人には、あるいはマンガは好きだけど文学にはちょっと手が伸びにくいという人にも、おすすめの一冊だったと思う。

映画『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(5)傑出した才能と早すぎる死

赤い蝋燭と人魚 (若い人の絵本)

 

(その4)からの続きです。

 

私が久しぶりに映画館に足を運ぶ気になったのも、そうした創作者としての彼女の姿に出会いたかったのだなと思う。そしてそれは、十分にかなえられた。

 

特に前半のデビューまでの苦闘は、とても見ごたえがあった。後半は少し間延びした感があったが、それはやはり彼女を「反戦」であるとか「かけがえのない子供を描いた」といった手垢のついた言葉で括り始めると、みるみる見る気が失せるという感じになるのはまあやむを得ないし、そういうものを期待して見に行った人多いだろうから、そういう人へのサービスとしてもそういうところは避け得ないものなんだろうなとは思った。

 

帰ってきてパンフレットを読み直してみると、彼女は厳しい評価をされていたという部分ばかりが強調されていたけど、実はデビュー作の紙芝居で文部大臣賞を取り、37歳で初めて絵本を描き、その前後に小学館児童文化賞、厚生大臣賞、サンケイ児童出版文化賞と次々に受賞している。その才能は明らかに傑出していたのだ。

 

そして画業で一家の収入を支えながら44歳で結婚に大反対した夫の両親と同居、48歳で夫が代議士になり、51歳で脳血栓で倒れた実母を同居させて、手伝いの人も住み込んでいたのだという。

 

当時の松本善明共産党国対委員長で当然ながら新聞社の夜討ち朝駆けもあり、夫と自分の兄弟たちが親を訪ねてきたりもし、「2階は家族のものだけど1階は社会なの」という状態で絵を描き続けていたのだという。

 

そして入退院を繰り返し、早すぎる死。本当に凄絶な一生を送ったのだなと思う。

 

彼女の遺作は、小川未明の童話『赤い蝋燭と人魚』だった。



『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(4)いわさきちひろの絵の「強さ」

 

あめのひの おるすばん (至光社国際版絵本)

 

(その3)からの続きです。

 

内面の激しさが自らの身体まで蝕みながら、そうしてまで描き続けた彼女の絵は、甘いだけのものであるはずがない。パンフレットでスタジオジブリ高畑勲が描いていることだが、「描かれた子供たちはほとんど笑っていない」。そう、彼女の絵の強さはそこにあるのだということに私も初めて気づいた。

 

それは、現代で言えば奈良美智の絵も同じことが言える。性別不明の彼の絵の子どもが、笑っていることはほとんどない。彼の絵は記号性が強いが、ちひろの絵は水彩の可能性を追求し、クロッキーやパステルの質感を残している。技法的な実験を実はすごく行っている。

 

今こうしてみていると、この絵はロートレックの描き方を使い、この絵はムリーリョの描き方を取り入れ、と本当にさまざまな技法的引用を駆使しているように思われる。私は彼女の絵を技術的に分析したことがないから気が付くのはそういう部分的なことだけれども、実は彼女は相当多くの絵を研究し、自分の作品に生かしているのではないかと思う。あの特徴的な絵の具のにじみを生かした絵も、水墨画の技術を研究していないはずがないと思う。

 

おそらくはそういう絵画技術史上のトップクラスの探求をしながら、作品としては「かわいい」子どもの絵としてまとめ、「甘い」という評価を聞き流しながら、生活を成り立たせるための絵を描き続けたのだ。

 

労働者側の弁護士として、さらには共産党国会議員として激務でありながら収入があまり上がらない彼らの家庭を支えていたのが彼女の作品だったということを知った時、私はかなり驚いた。そしてそういう状況にありながら、挿絵画家としての権利を確立するために出版側に注文を付け、原画を必ず返却させることと大事に扱うこと、画料だけでなく印税も支払わせるといった当たり前の要求を実現させることに努力し、「面倒な画家」として仕事が減りそうになったときも、息子に「うちはこれから貧乏になるから覚悟してちょうだい」と言って戦い続けたのだという。その強さあっての、彼女の絵なのだ。


(その5)に続きます。

『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(3)すべての価値観が崩壊した敗戦の翌日。ちひろはスケッチブックを開いた。

ラブレター

 

(その2)からの続きです。

 

ちひろの一生は戦いの連続だった。そしてそれは、特に若いころは、必ずしも褒められた戦い方でもなく、そうであるからこそちひろは傷つきながら戦い、描き続け、惜しまれながら早く亡くなってしまったのだろう。

 

女学生時代から将来を嘱望される才能を発揮しながら親に反対されて長女の義務として婿を取らされ、夫の勤め先である大連に渡ったがおそらくは生来の激しさの故に夫を受け入れることが出来ず、2年後に夫は自殺してしまう。日本に戻るものの満洲へ女子義勇隊を送り出していた女学校教師の母の勧めで再び満州にわたり、満蒙開拓団や地元の人々の酷い暮らしにショックを受けて心身症になり、終戦前に帰国、東京大空襲で家を失い長野県に疎開、敗戦で両親とも公職追放になり、すべての価値観が無効になったことを知った。

 

その敗戦の翌日に数年ぶりに開いたのがスケッチブックだった。

 

ちひろは地元で共産党に入党し、家出同然で上京して27歳の未亡人として画家への道を決意し、丸木俊に弟子入りして女性の画家たちとお互いにヌードモデルを務めあいながら絵を学び、人民新聞に挿絵を描いて生活を立てたものの画家になるために退社。才能はあるが激しい性格のためにあちこちでうまくいかないことが多かった、のだと思う。

 

しかしそれも、その激しさが表に現れるのでなく、内側の決意として常に表現されたのだろう。何枚か出てきた自画像の表現がこれがあのいわさきちひろかと思うくらいの激しいものでありながら、夫や子供たち、周囲の人たちのちひろ評は、いつもにこにこして、一度も激しいことばを口にしなかった、というものだった。それだけその激しさは内攻し、心身症になったり、あるいは自らの体を蝕んだりしたのだと思う。

 

(その4)に続きます。

『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(2)「本当は怖い」いわさきちひろ

戦火のなかの子どもたち (創作絵本 14)

 

(その1)からの続きです。

 

映画『いわさきちひろ―27歳の旅立ち』を見て、自分の中でいわさきちひろの絵の見方が変わったことが如実に感じられる。

 

ただかわいいだけの子どもの絵に、なぜ動かされるのだろうかと、それが不思議でならなかったのだが、はっきりとわかったことは、彼女の絵に描かれた子供たちには明確な実在感が、あるいは意思が、存在感が、確かにそこに子どもという名の何者かがいるとしか言えない何かがあるのだ。

 

あるいはそれは子どもとすらいえない何か。きれいな色彩と、いたいけさ溢れる描写の向こうに、ある意味何物をも受け入れない強さ、支配を拒否する強靭さ、あまりに強い作者の意志のようなものが透けて見えるようになったのだ。

 

考えてみたらそれは今までだってそう見えている部分があったのだと思う。しかしいわさきちひろの絵はかわいいだけの子どもを描いた甘い絵だという先入観に足をすくわれていたのだろう。

 

マリー・ローランサンの絵がそう思われがちであるように、感傷的な、母性的な慈愛に満ちただけの、時によっては商業的でさえある二流の表現であると、思いこまされそうになる何かに目をくらまされていたのだと思う。

 

映画の中でも、ちひろは常にそうした評価と戦っていたことが分かる。その中でちひろは傷つき、考え込み、自分の表現を模索し、新しい世界を広げ、そして最後にはピカソゲルニカに匹敵するであろう(映画の中でもちひろはピカソの古典主義時代の作品を何十枚も模写していたことが出てくる。ピカソのような画家になることは、やはり彼女の憧れだったのだと思う)ベトナム戦争を主題にした絵本、『戦火の中の子どもたち』を描いて、その翌年に亡くなっている。

 

(その3)に続きます。