文化系ブログ

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トランストロンメルの詩集『悲しみのゴンドラ』を読んだ。(2)朗読したくなる詩集だった。

悲しみのゴンドラ 増補版

 

トランストロンメルの詩は朗読したくなる詩だ。

 

つよい、ということはワンフレーズワンフレーズの意味が取りやすい、ということでもある。

 

詩と言っても私はやはり今までは抒情詩的な方面に偏っていたから、言葉の意味というより何かの発露としての表現という方に鑑賞の重点があったわけだけど、トランストロンメルの詩はむしろ意味を解読して行くことでより深く理解できる、そういう詩だ。そこにヨーロッパの重層的な教養がある。だからと言ってギリシャ悲劇からすべてを理解していなければ手も足も出ない、というようなものでもない。ちゃんとそういう知識の足りない無教養な私であっても十分楽しめるような意味構造を用意してくれている。

 

「悲しみのゴンドラⅡ」という詩は1882年末にリストが娘婿のワグナーと娘のコジマをヴェネツィアに訪ねた時のことを題材にしていて、ワグナーはその数か月後に亡くなっているのだそうだ。そしてリストはこのときのことを題材に二つのピアノ曲を書き、「悲しみのゴンドラ」と名付けて発表しているのだそうだ。

 

私が強く引かれた一節を抜き出してみよう。

 

リストが書きとめる和音の重さは途方もなく

分析にパドヴァの鉱物試験所に送るべきほど。

まさに隕石群!

休止するには重すぎて ただ 沈みに沈み

    未来の底まで抜け通る

 

和音の重さ。リストが書きとめるその重さ。パドヴァの鉱物試験所。そこからの連想だろうか、リストの和音は隕石群に比されている。「隕石群!」というフレーズは吉増剛造を連想させられたが、その言葉のおさまり具合からもトランストロンメルの方がかっこいい。

 

休止するには重すぎる和音。それが沈みに沈んで、未来の底、引用はしなかったが1930年代のムッソリーニの台頭期にまで沈んで行く、というわけだ。

 

こういう一節からもこの人が世界をどのようにとらえているかがうかがえるわけで、おそらくはヨーロッパ教養人の多くが共有している世界認識と言っていいのだろうと思う。

 

それがトランストロンメルの詩の言葉の形を取ると衒いもなく、または何もつかず、とてもかっこよく、自分から進んでその価値観を共有したいと思うようになる、そんな力を持っているわけで、この人がノーベル文学賞を取った理由はとてもよくわかるなと思った。単なる地元びいきではないのだ。

おそらくはこの受賞はそのように多くの国で解釈されているだろうけれども、それだけで終わってはつまらない。特に日本人にはこの人の詩をもっと読んでもらえるといいなと思う。

 

この詩は八つのパートに分かれ、ページ数で15ページにわたっているのだが、朗読してiPhoneのボイスメモに録音してみたら4分余りになった。

 

声に出してみると、目で読んだときには気がつかなかった意味に一つ一つ気づいて行き、読むたびに加わって来るその意味を加えて朗読しなおさなければと思う、そういう楽しみがある。