『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(2)「本当は怖い」いわさきちひろ
(その1)からの続きです。
映画『いわさきちひろ―27歳の旅立ち』を見て、自分の中でいわさきちひろの絵の見方が変わったことが如実に感じられる。
ただかわいいだけの子どもの絵に、なぜ動かされるのだろうかと、それが不思議でならなかったのだが、はっきりとわかったことは、彼女の絵に描かれた子供たちには明確な実在感が、あるいは意思が、存在感が、確かにそこに子どもという名の何者かがいるとしか言えない何かがあるのだ。
あるいはそれは子どもとすらいえない何か。きれいな色彩と、いたいけさ溢れる描写の向こうに、ある意味何物をも受け入れない強さ、支配を拒否する強靭さ、あまりに強い作者の意志のようなものが透けて見えるようになったのだ。
考えてみたらそれは今までだってそう見えている部分があったのだと思う。しかしいわさきちひろの絵はかわいいだけの子どもを描いた甘い絵だという先入観に足をすくわれていたのだろう。
マリー・ローランサンの絵がそう思われがちであるように、感傷的な、母性的な慈愛に満ちただけの、時によっては商業的でさえある二流の表現であると、思いこまされそうになる何かに目をくらまされていたのだと思う。
映画の中でも、ちひろは常にそうした評価と戦っていたことが分かる。その中でちひろは傷つき、考え込み、自分の表現を模索し、新しい世界を広げ、そして最後にはピカソのゲルニカに匹敵するであろう(映画の中でもちひろはピカソの古典主義時代の作品を何十枚も模写していたことが出てくる。ピカソのような画家になることは、やはり彼女の憧れだったのだと思う)ベトナム戦争を主題にした絵本、『戦火の中の子どもたち』を描いて、その翌年に亡くなっている。
(その3)に続きます。