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さいとうちほさんの『とりかえ・ばや』第4巻を読んだ。「色好み」が物語を展開させる原動力であるのが面白いと思った。

とりかえ・ばや 4 (フラワーコミックスアルファ)

 

さいとうちほさんの『とりかえ・ばや』第4巻を読んだ。

 

平安時代の古典『とりかへばや物語』に題材を取ったさいとうちほさんの作品、『とりかえ・ばや』の第4巻が出た。

 

主人公は女性なのを隠して宮中に出仕している「沙羅双樹中納言」と男性なのを隠して女性である東宮(皇太子)に仕えている「睡蓮の尚侍」(すいれんのないしのかみ)なのだが、今回のストーリーではほぼ沙羅双樹が中心となって展開している。

 

と言うのは、沙羅双樹が女性であることが、親友の「石蕗の中将」(つわぶきのちゅうじょう)にバレてしまい、そこから展開して行く波瀾のストーリーが今回のメインだからだ。

 

石蕗の中将は沙羅双樹の妻・四の姫と通じて子供まで生まれてしまうのだが、実は石蕗が魅かれていたのは沙羅自身であったと告白され、またその会話のうちにふとした弾みで沙羅が女性であることがバレてしまう。

 

この巻では、ついに沙羅を思慕する石蕗が、男色家の式部卿宮の策略で、石蕗に抱かれてしまう、と言う展開になる。この辺り、原作の物語でも古来かなり物議をかもしたらしいのだが、まあそりゃそうだろうと思う。

 

沙羅はショックのあまり乳母のあぐりのところに泊まりに行き、しばらくそこで身を隠す。「男としての自分は今宵死んでしまった」と。沙羅はそれまでも月の障りのときは宮中を辞して乳母の家で静養していた。石蕗はそれを探し当て、訪ねてきて、その後も何度も文や歌を送る。この石蕗の情熱的な歌がなかなかだなあと思うし、それに返した沙羅の皮肉な歌もなるほどなあと思う。

 

いかにせむただ今の間の恋しさに死ぬばかりにも惑はるるかな

 

人ごとに死ぬる死ぬると聞きつつも長きは君が命とぞ見ゆ

 

中納言宮中に参内しなかったため、帝が心配し、季節外れに咲いた桜の枝を折って文を送ったため、沙羅は自分の使命を思い出し、宮中に再び出仕し、洪水をもたらす鴨川の工事に当たる防鴨河使庁の長官を引き受ける。

 

しかし今度は帝が沙羅双樹に瓜二つだという睡蓮の尚侍に興味を示し、入内の話が持ち上がる。それを何とか断ろうとしている二人のところに帝が現れ、十二単に身を隠した沙羅の顔を偶然かいま見、睡蓮を見たと思ってしまう。

 

中納言は防鴨河使庁の仕事に打ち込みますが、四の姫と石蕗のことを思い、四の姫を離縁しようとした矢先、四の姫が二人目を身ごもる。四の姫のつわりの様子を見た沙羅は、自分にもつわりが現れたことに気づく。

 

この物語の一番の中心は、男と女が入れ替わり、そのまま普通だったら問題なく過ぎて行く様々な通過儀礼のようなことが起こるたびに問題が発生していくそのハラハラドキドキにあるわけだが、そのストーリーを動かして行くのが石蕗の中将や帝の「色好み」や「思慕」であるところが面白い、というか人間の生物としてのパワーを感じさせる。

 

男女が入れ替わっている沙羅と睡蓮は、自分がそれぞれ本来の性とは別の性として生きて行くことを決意しているので、そう言う生物的な衝動には鈍感というか、困ったものだと感じている方が強いのだが、つい石蕗を受け入れてしまった沙羅にしても、女東宮に思慕の気持ちを持つ睡蓮にしても、完全に理が勝つ存在ではない。

 

沙羅は「女でもなく男でもない 子供でもなく大人でもない」と言う不安定さから、特に婚姻関係にある四の姫に申し訳ない気持ちを持っていて、石蕗と四の姫を近づけ自分は離縁して身を引こうとするのだが、四の姫が石蕗の二人めの子を身ごもって締まったことでますますあとに引けなくなる。この辺り、原作をきちんと読んでいるわけではないので何ともいえないが、やはりさいとうさんのドラマタイズが上手いのだと思う。

 

最終的にキーになる人物は、二人が男女入れ替わっていると言うことを見抜いた眼力の持ち主である吉野の宮だろうと思うが、そこに行くまでにまだ波瀾があるのかなと言う気もする。

 

そう言う物語が展開して行く宮中の四季折々の美しい描写も一つの見所だし、おそらくは源氏物語ほどは登場人物の心情が書き込まれていなくて、そこにマンガ家の想像力を加えて行く余地があったのかなとも思う。適度に現代的な感覚も持ち込まれていて、その辺りも現代の作品として読みやすい感じになっていると思う。

 

古典を現代感覚で描くと言うのは難しい面も多いのだが、私はこのストーリーは成功しているのではないかと思う。