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『いわさきちひろー27歳の旅立ち』を観た。(3)すべての価値観が崩壊した敗戦の翌日。ちひろはスケッチブックを開いた。

ラブレター

 

(その2)からの続きです。

 

ちひろの一生は戦いの連続だった。そしてそれは、特に若いころは、必ずしも褒められた戦い方でもなく、そうであるからこそちひろは傷つきながら戦い、描き続け、惜しまれながら早く亡くなってしまったのだろう。

 

女学生時代から将来を嘱望される才能を発揮しながら親に反対されて長女の義務として婿を取らされ、夫の勤め先である大連に渡ったがおそらくは生来の激しさの故に夫を受け入れることが出来ず、2年後に夫は自殺してしまう。日本に戻るものの満洲へ女子義勇隊を送り出していた女学校教師の母の勧めで再び満州にわたり、満蒙開拓団や地元の人々の酷い暮らしにショックを受けて心身症になり、終戦前に帰国、東京大空襲で家を失い長野県に疎開、敗戦で両親とも公職追放になり、すべての価値観が無効になったことを知った。

 

その敗戦の翌日に数年ぶりに開いたのがスケッチブックだった。

 

ちひろは地元で共産党に入党し、家出同然で上京して27歳の未亡人として画家への道を決意し、丸木俊に弟子入りして女性の画家たちとお互いにヌードモデルを務めあいながら絵を学び、人民新聞に挿絵を描いて生活を立てたものの画家になるために退社。才能はあるが激しい性格のためにあちこちでうまくいかないことが多かった、のだと思う。

 

しかしそれも、その激しさが表に現れるのでなく、内側の決意として常に表現されたのだろう。何枚か出てきた自画像の表現がこれがあのいわさきちひろかと思うくらいの激しいものでありながら、夫や子供たち、周囲の人たちのちひろ評は、いつもにこにこして、一度も激しいことばを口にしなかった、というものだった。それだけその激しさは内攻し、心身症になったり、あるいは自らの体を蝕んだりしたのだと思う。

 

(その4)に続きます。