文化系ブログ

アート、小説、音楽、映画、文化に関すること全般を雑談的に。

【「芥川賞受賞者なし」は制度疲労か作家の力不足か】

第145回、つまり2011年上期の芥川賞は「受賞者なし」だった。

 

それについての山田詠美のコメントを読む。いろいろと回りくどいことも行っているが、結局は円城塔をどう評価するかと言う問題で、彼に芥川賞を与えると言うことに抵抗がある人が選考委員の過半数いたということなのだなと思った。私は彼の読者ではないのでよくわからないが、要するにSF的過ぎると言うことらしい。

 

山田のコメントもいろいろと含蓄があっておもむきが深いが、要するにまた芥川賞と言う制度というか機関というかがまた時代の変化を読みきれない、機能不全に陥りつつあるということではないかと言う気がする。ちょうど1980年代、まさに山田詠美島田雅彦、そして誰よりも村上春樹芥川賞を受賞させそこない、それでいて該当者なしを連発していたあの時期を思い起こさせる。

 

あの時期の反省から1990年代以降原則的に受賞者を出すと言う方向にシフトしたはずなのだが、前回二人の受賞者を出した反動からか、前々回に続いて受賞者なしとなった。円城塔が(この時点では読んでない、あとで受賞したときに読んだが)村上春樹に匹敵するような存在になったとき、今回の審査員たちはまた忸怩たる思いにとらわれることになるかもしれない。

 

でもまあ、山田詠美は結局は「出版社には悪いが候補作を集めなきゃいけないというような感じで集められたのではないか」と言っていて、要するにレベルが低かった、ということを言いたかったようだ。まあこういうものにはいろいろな人のいろいろな意見があるからなかなか難しいかもしれないなとは思う。

 

当事者たちにとっては洒落にならない話ではあるのだが、こういういろいろな現象をみると日本の文学の現在(制度も、内容も)のようなものも見えてくる部分がある。

 

文学の世界で一番社会とつながっている芥川賞というイベントが、文芸5誌に掲載されたという極めて狭い世界の中で選ばれている(黒田夏子氏の早稲田文学と言う例外はあったが)というのもよく指摘される問題だし、保守的な選考委員が是と言わないために新しい傾向の作品が受賞を逃すと言うのもよくあることだ。石原慎太郎だって、村上龍だって、当時の一部の選考委員に大反対されながら受賞している。

 

私は最近文学というものは村上春樹の単行本と芥川賞作品しか読んでいないのだけど、それだけで結構見えてくるものも多い。私は多分本当の文学好きではないので、そういう現象面で起こってくることの方に興味が引かれてしまうということもあるのだと思うけれども。

 

しかし、文学って何なんだろう。ある種の絢爛さ、ある種の意匠こそが文学の本質なんだろうか。生きるための指針なんだろうか。自分が引かれるのはその二つと、あとは文章を読むときに身体的快感があるかどうか、のような気がする。絵でも映画でも音楽でもなく、文学でしか表現できない何か。文章の質感とコンテクストの配置の妙技。いろいろな業師もいるが、自分が読みたいものは果たして何かと問われると結構難しい。

 

自分が読みたいのは、「読むことで何か自分が変わる」ものなんだろう。元気が出たり、感動したり、何かに気づいたり、などなど。でもだからこそ、一つの方針でがんばり続けているときにはそれに浸食されそうで読みにくい、ということもあったりする。

 

まあ芥川賞というのは、形のはっきりしたイベントなので、解釈する方も解釈しやすいので、だからこそ私のようなものでも読む気がするということがあるんだと思う。

 

文学を読まない層にも影響を及ぼすような、大きな作品が出てくることを期待したいと思っている。

赤染晶子『乙女の密告』は、ここのところなかった「何かを考えるための物語」だった。

乙女の密告 (新潮文庫)

 

2010年のことだが、赤染晶子『乙女の密告』を読んだ。

 

私は基本的にその年の芥川賞作品は読むことにしているので、この文章も2010年の8月にかいたものだ。

 

この小説は、「乙女」の世界と「アンネの日記」の世界が交錯して行き、アンネ・フランクのある種の問題発言、「今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!」という言葉の意味を読み解いて行く、という作品、だと思った。この辺受け取り方は選考委員の間でも様々で、石原慎太郎などは「所詮ただ技巧的人工的な作品でしかない。……アクチュアルなものはどこにも無い」などと切って捨てているが、それはさすがに受け取り方としてもったいない気がする。

 

こういう構造を持つ作品として、思い浮かぶのは足立巻一『やちまた』だ。これは足立自身の人生と本居春庭(宣長の長男で、盲目になりながら日本語文法の研究を進めた人)を調べて行く道行きが上下二巻の大冊で描かれていて、学生時代に読んで深く感銘を受けた作品だ。足立の世界と春庭の世界が交錯して、生複合と呼べる世界が展開している、というのが当時の誰かの評にあった。

 

『乙女の密告』という作品は京都の外語大生の「乙女」の世界というある種特殊な世界を舞台にしている。この世界はどうも私などにはよくわからないし、腐女子だとかゴスロリとか嶽本のばらとか女オタとか801とかどこが一緒でどこが違うのかよくわからない。

 

ただ構造として、乙女の世界とは「真実よりも噂が大事で噂を立てられたら終わり」という世界である、と設定されている。乙女の世界というのは多分、作者にとってリアリティのある世界なんだろうけど、その設定がある種の独りよがりさであんまり意味のない壁を作っている気がする。本人がそういう「乙女の世界の旗手」として乙女の世界の宣教にのりだそうというならまあそれはそれでいいのだけど、そうでなくもっと普遍を目指すスタンスがあるなら別に乙女の世界でなくても「真実より噂が幅を利かす」というのは人間社会全般にあることだし、もっと普遍性のある設定にできたのではないかという気がする。

 

というか、「乙女」という言葉を使わないだけで全然抵抗感がないと思う。ま、そういうものは好きずきなんだろう。選考委員でも村上龍石原慎太郎宮本輝の三人はかなりの抵抗を示している。女性委員にはあまり抵抗はなく、むしろ面白がる種類のもののようだ。黒井千次はかなり読みこもうとしている。池澤夏樹が世界文学レベルで読もうとしていて、そういう目で見て合格点なら多分まあいいんだろうということにはなるんだろうなと思う。

 

ドイツ人教授と人形の関係も、ちょっと戯画化しすぎていて意味が分からなくなっている。まあ、これはわざと意味を分からなくしたのかもしれない。つまり、冗談なのか不気味さを狙っているのか分からないところに放り出している、という感じだ。昨日読んだ時のメモには、「このあたりは関西的な率直さが裏目に出ている感じがする」と書いたのだけど、今読み直してみるとそれも狙いなのかなという気もしないではない。

 

まあ、読んだ内容を思い返してみると、心がざわざわするところがたくさんあって、それは乙女関係のところもあるけれども、やはりアンネ・フランクの言葉を解釈するところに関わって行くところが多い。どこにいても常にユダヤ人でしかないユダヤ人が「私はオランダ人になりたい」ということの意味を、「私は他者になりたい」という叫びだと作者は解釈する。

 

ドイツ人教授に課せられた暗唱を何度も何度も練習するのだが、何度繰り返しても必ずそのくだりを忘れてしまう。そして、「思い出すことが大事なんだ」というヒントがあって、「私は他者になりたい」という言葉はイコール「私は自分自身である」という宣言であり、それは「アンネ・フランクユダヤ人です」という「密告」なのだということになる、というわけだ。自分が自分であると宣言すること自体が自分が訴えられるべきものであると告白する宣言でもある、ということになる。それが噂ばかりの乙女の世界から脱し、真実の世界に生きるという宣言でもある、ということになる。アンネ・フランクを「密告」したのはアンネフランク自身だった、というわけだ。謎解きが形而上的な話にずれていることの良しあしも評価を分ける分岐点にはなっているだろう。石原なんかはそれもあってアクチュアリティがないととらえているんだろうと思う。

 

この作品は多分120枚程度のものだと思うが、その枚数で扱うにはもともと大きすぎるテーマなのではないかなという気がする。「やちまた」のような大部で辛抱強く追求して行かないと、消化不良になってしまう気がする。テーマ自体も半端なものではないし、技術もあるので、テーマと枚数の不釣り合いがなければもっと広く受け入れられる魅力的な作品になったのではないかと思う。まあ、あまり長い作品になってしまうと芥川賞の対象ではなくなってしまうという難点はあるわけだけど。逆に言えば、芥川賞狙いの作品で扱うようなテーマでは本来ないということだと思う。

 

読みやすさ、という点で言えば、私には読みやすく、わりと短時間で読むことが出来た。川上未映子『乳と卵』や町田康『きれぎれ』は読むのに相当苦労したのに比べると対照的で、ある意味でラノベ的なのかもしれない。いや、もちろん全然違いますが。

 

全体的に自分としてどう評価するかな、と考えてみると、基本的にそんなに嫌いじゃない、ということだろうか。こういう何かのテーマについて考える体の小説というのは、焦点がはっきりしていてそういう小気味よさがある。次の作品が面白いかどうかは読んでみないと分からない、と思うけど、何ていうかこういう作品が芥川賞を受賞したというのはある種画期的なことなんじゃないかとも思う。つまり、いい傾向というか、私がこうなってほしい傾向に近い気がする。まあ、受賞作品にそういう流れが出来るかと言うとそんなこともないだろうけどね。というわけで、いろいろな点から、前向きに評価したいと思っているのです。

堤清二氏とセゾン文化の文化的功績は、文化のインフラを作り、カルチャーへの階段を架けたこと

昨年の11月、元セゾングループ総帥、堤清二氏が86歳で亡くなった。

堤清二という人と、その「文化的功績」に関して、少し書いてみたい。

彼は80年代、それまでになかった形で、文化のインフラストラクチャーを作った、それが彼の功績だと思う。それは「セゾン文化」という形で今でも語られている。「文化を商品にする」という方向はさまざまに取り組まれてきたし、たとえば同じ時代でいえば角川春樹は映画や小説などそれまで「金にならない」アートや文学と思われていたものをメディアミックスという戦略を使って大衆が消費する商品にすることに成功した。

しかし逆に、「商品を文化にする」という方向に彼ほど成功した人はいないのではないかと思う。セゾングループバブル崩壊とともに衰退し、堤も最後は経営者としてではなく小説家や発言者として、つまり文化人として取り上げられるのがもっぱらになったけれども、バブル崩壊の荒波を越えて、というかその過程の中でかなり多くのものが失われてしまってはいるけれども、いまなお残るインフラがその時代につくられたこと、また「文化的インフラとはこういうもの」という初期的なスタンダードを作ったことは大きな功績だと思う。

また、セゾン文化がサブカルチャーハイカルチャーの間の断絶地帯を埋める働きをしたということも挙げられるのではないだろうか。洋服でいえばヨーロッパの高級ブランドには手が届かなくても、日本の従来の既製品よりは遙かにセンスの優れていて何とか手が届きそうなDCブランドを強くプッシュしたり、いままであまりなじみのなかった現代美術を西武美術館で連続的に取り上げたりした。当時は「みたい展覧会」は上野の西洋美術館よりはデパートの中の美術館でやっている感じで、私が初めてマグリットを見たのは船橋の西武美術館だったし、ロートレックを見て雷のような衝撃を受けたのも確か池袋の西武美術館だった。

私がヨーロッパ映画をたくさん見たのも、シネヴィヴァン六本木やシネセゾンなど、やはりセゾン系の映画館だった。先日映画についてのツイートをもとにエントリを書いたけれども、あの中のかなり多くの部分はそういう映画館で見たものだった。

文化的なインフラを整備し、手の届かないものだったハイカルチャーへの空隙の階梯を示し、そこで働く多くの人々を養成し、それに憧れる多くの若者を生んだ。当時セゾン文化に関わって現代でも一線の活躍をしている人はその象徴的な存在である糸井重里をはじめとして(セゾン文化と言えばまず第一に彼のコピー「美味しい生活」だろう)数多いし、その文化を空気のように呼吸して成長した我々の世代から多くのクリエイターや批評家が生まれてきている。

あの時代のあの文化を表層的な、あるいは一時的なスノッブな現象だと否定する意見もあったしいまだにあると思うのだが、実際には文化に関する大きな構造転換を担ったと言っていいのではないかと思う。

それは、おそらくもっともその恩恵も、また「セゾン文化」から「ハイカルチャー」への巨大な空隙に放り出されて愕然とするショックも味わった世代の一人である、私の実感だ。

それは中途半端で不十分だったかもしれないし、しかも道半ばでバブル崩壊に遭遇するという不運もあったが、そこから根付いて芽吹いたものを、正当に評価していきたいと思う。

堤氏のご冥福をお祈りしたい。

このエントリは2013年11月28日にFeel in my bonesに掲載したものです。

佐村河内氏のゴーストライター問題で「永仁の壷」事件を想起して思ったこと

【佐村河内氏のゴーストライター問題と「永仁の壷」事件】

 

佐村河内守氏をめぐるゴーストライター問題、私はこの分野の話に疎いので、何が問題なのかがずっと腑に落ちていなくて、今でも完全に理解したとも言えないのだが、要は作曲家の新垣隆氏が佐村河内氏から「発注」を受け、佐村河内氏が自分の作であると偽って発表し、また「被爆二世であり全盲の天才作曲家」という虚像を流布して世間を欺いた、ということが問題になっている、ということでいいのだろうか。

 

これらの作品群によって佐村河内氏の名声は高まり、CDも売れたが、報道等できこえてくる情報によれば、佐村河内氏が増長し、専横の振る舞いが目立ってきて、新垣氏自身がこの「神話の形成に加担」したことに罪の意識を覚えて告白した、と、整理してみたがいいのだろうか。

 

もともと、アイデアというか曲の核になるイメージ自体は佐村河内氏から新垣氏に提供され、新垣氏が彼の持つスキルを駆使して作品に仕上げた、少なくともそういう曲「も」あったようで、最初から共作と言えば特に問題になることもない事例だったのだろう。

 

しかしこの問題は日本社会がはらむ弱者=気の毒な人をめぐる「いい話」と言う善意が世の中を動かしがちだと言う現象とそれに対する反発や、著作権上の問題、騙されたという憤りや、「本物とは何か」という議論に至るまで、様々な面で問題を提起するものでもあったので、あれだけの騒ぎになったのだろう。

 

ここで言えば、佐村河内氏は「人に作ってもらったものを自作として発表した罪」があることになるわけだが、新垣氏には「人に作ってあげたものをその人の作として発表させた、ないしは発表された罪」があることになる。そう考えると分かりにくくなるが、新垣氏が自覚している罪意識は、「佐村河内氏の虚偽に加担した罪」ということになるようだ。

 

新垣氏は利用されただけとも言えるし、それを理解して協力していたのだから加担したという言い方もできる。そしてそこに、「世間慣れしていない芸術家」がよくわからないまま加担した、という絵を描くか、「立派な社会人であるのに詐欺的な人物に利用された自覚せざる罪びと」という絵を描くかによってもかなりイメージが違ってくる。

 

結局このあたり堂々巡りで、新垣氏が勤務先に辞意を伝え、勤務先もそれを受理したと報道されると、「処分撤回」を求めて署名運動が起こり、勤務先もそれを取り消す、などということも漏れきこえてきて、新垣氏の「罪」についてはどう判断するべきなのか、関係者も逡巡していることが感じられる。

 

一方佐村河内氏の方は、基本的に断罪されてしかるべきだと見なされているようだが、刑事事件に発展する気配もないし、そのあたりもよくわからない。新垣氏はフィギュアの高橋大輔選手がソチオリンピックで問題の曲をプログラムで使うということで、佐村河内氏の詐欺行為が世界にまで広がることを恐れたと言うが、直前に曲を変更するなどということができるはずはなく、返って混乱を招いたという面もある。「知らないことは罪」と言ったり「無垢=無知であることの罪」だと言う話が、今回は持ち出されていると言う感じもある。

 

言うまでもないが、現代社会はルールで動いている。法律を知らないからと言って罪は免れられない、というのが法の支配する社会のルールではあるのだけど、そうしたものに縛られないこそが必須だと言う世界もまたこの社会の中にはあるわけで、芸術家がしばしばこうした事件に関わってしまうのは、子供が犯罪に利用されたり、高齢者が普通に考えたら引っかかるとは思えない詐欺の対象になってしまうこととある意味似ている。その点において、社会もまた「本当の芸術家」と認められるという認識に達した人物には、ある程度寛大に目こぼしする、という共通認識もある程度はある。

 

しかしそうなると、今度は逆にそういう認識を利用して社会のルールをある程度無視しても許される、という行動に出るものも出てくる。「本当の芸術家」「天才」というイメージさえもたれれば、何をしても許される、というわけだ。イメージさえもたれればいいわけだから、その天才的な作品を自分で作る必要はない。それを外注し、自分はイメージ作りの自己ブランディングに専念する。社会は「弱者」「被害者」「気の毒な人」に弱く、「天才」というレッテルもまた利用価値がある。それを使ってある種のカリスマを形成し、社会に影響力を持っていきたいという企画が、実行されることがあるということなのだろう。

 

今回のできごとはそういう、社会の「当然のルール」と「お目こぼしされるべき事例」と「その悪用例」が重なって複雑な様相を呈しているということなのだろう。18年という長期にわたってそれが行われていた、ということもまた問題を複雑にしたのだと思う。

 

新垣氏は佐村河内氏に心理的に「支配」されていたのだろうか。そこにオウムと同じようなある種の「洗脳」を見る見方もあるようだし、そうなると新垣氏はオウム信者のように「加害者であり被害者」であるという立場になる。どうもこの件は、何となく暗くてじめじめした部分があり、現代の病理が現れているような感じが漂ってしまう。

 

ところで、もう古い話になるが、50年ほど前にある有名な贋作事件があった。「永仁の壷」事件である。これは陶芸家であり陶器研究家でもあった加藤唐九郎が、自作を鎌倉時代のものと偽り、国の認定官も気づかずに太鼓判を押して、重要文化財に認定されたという事件である。

 

最終的に唐九郎はこれが自作であったことを認め、また科学的な検査で現代の作と認定されたために重要文化財の指定は取り消され、指定を推薦した文部技官が引責辞任した。これは一大スキャンダルとなり、当時の骨董品の真贋をめぐる議論がいまでも白洲正子小林秀雄の随筆などで読むことができる。

 

事件の真相は今なお明らかになっていない点も多いが、おそらくは加藤唐九郎のある種の遊び、悪ふざけが周りを巻き込んでしまった事件だったのではないかと私は思う。重要文化財に指定されうるようなものを作れるんだ、と言うある種の天才らしい、また様々な逸話の残る彼らしい稚気が引き起こし、引くに引けなくなって引き起こしてしまった事件なのだと思う。

 

もちろんこの事件も、周りにとっては飛んだとばっちりなのだが、この加藤唐九郎という人物が掛け値なしの天才だった、ということがその後の展開をある意味明るくしている。

 

問題の「永仁の壷」は、百貨店が企画した展覧会で展示され、毎日大入り満員の盛況となった。悪趣味だと言えば悪趣味だが、佐村河内氏の楽曲も今ヒットチャートを急上昇中であるのと同じような意味で、大衆はそういう話題になったものを見聞きしたいという物見高さがあるわけだ。この企画はある意味この問題をめぐるドロドロした部分を笑い飛ばす、みんなそういうものが好きなんだよね、で一笑してしまう、ある種非常にロックな企画であり、「へうげ」の精神が発揮されたものだと言えるかもしれない。

 

唐九郎もしばらく謹慎していたし、またこの事件をきっかけに無形文化財有資格者(人間国宝)の資格を失い、親子関係が断絶するという深い傷を負ったが、やがて「一無斎(一ム才)」と称して作陶に復帰した。その後は公的な名誉を追わず、憑き物が落ちたように作陶に専念したという。

 

とんでもないと思う人もあるだろうが、私はこの話はやはり明るいものを感じる。「騙された!」と憤った人々が「どんな風に騙したんだ?」とわざわざお金を払って贋作と分かっているものを見に行くという話はかなり可笑しい話だ。そして多分、「本物みたいよねえ」という印象を持って帰ったに違いない。プロレスを見て「やっとるなあ」というのに近い感覚だろう。

 

まあ以下のことはある種の願望であり、またそれが実現するのがよいことなのかどうかもよくわからないのだけど、こんなことを思った。

 

佐村河内氏にある種のプロデューサーの才能があることは確かなので、誰かオーケストレーションのできる作曲家と組んで新しい作品を共作として作り出したらどうかと言うこと。組んでくれる人がいるかどうか分からないが、彼の中に作り出さなければならない何かがあったからこそ、そういうことになったという面もあるのだろうと思う。もしそういう人がいなければ、一から作曲を勉強し直しても、まだ時間はあるかもしれない。

 

新垣氏は、ちゃんとマネジメントをしてくれる人と契約して、仕事と作品の管理をきちんとしていったらいいのではないかと思う。持っている才能や指導力を、きちんとした形で社会に還元していくことが求められるのではないか。

 

そのときに、ちょうど「永仁の壷」の展示会のような、すべてを笑い飛ばすような企画が一つ、あったらいいんじゃないかなと思う。それをきっかけにして憑き物が落ちるような。

 

いずれにしても、この件に関わった人たちがみな、前を向いて歩き出せるような、そういう結末がついてくれたらいいのになと思う。

 

 

音楽には多分、それだけの力があるのではないかと、願望を込めて、思うのだが。

表現の永遠の課題:作り手としてやりたいように表現するのか、誰にでも分かりやすく表現するのか

スタジオジブリの広報誌『熱風』が届いた。今回いろいろ考えさせられたのが『かぐや姫の物語』を見た「爆笑問題」の太田光と、高畑勲監督との対談。『かぐや姫の物語』は線で囲って色で塗り籠める「普通の」アニメに対し、ラフな線が動き、すべてを塗り尽くさないアニメーションであるわけだが、塗り尽くしたアニメよりもむしろそちらの方が返って実感が感じられる、ということについて話していた。この辺りのことは今までもいろいろな場所で語られてきたことなので、ああ太田もこの話をしているのだなと思ったのだけど、そこから敷衍して演技論に行ったのが面白かった。

 

「実感を伝える」ためには、『どの程度芝居をするのがいいのか』という話だ。私も芝居をやっていたので共感できるのだけど、演技は分かりやすく大げさにやればいいというものではない。

 

例えば朗読のとき、どこまでリアルにすればいいか。棒読みではつまらないし素っ気ないが、リアルに強調しすぎてもつまらない。伝えたいのは本物ではなく実感だから、どうやればそれが伝わるのかるのが難しい。そして、それは見る側の想像力、感じる力をどう考え、どうとらえるかと言う問題でもある。

 

高畑監督は『娯楽映画としてのアニメーション』なのだから、分からない、伝わらないということがあったら作り手が至らぬせいだ、と言っているのはちょっとへえっと思ったが、確かに『かぐや姫の物語』は高畑監督の作家性が存分に発揮されているとは思うけれども、それでもやはりどんな人が見ても感動するものに仕上がっていたと思う。やはりそこのところをちゃんと考えているのだなということは改めて思った。

 

この辺は書きながら、今の私で言えば、ブログの書き方の問題と同じだなと思った。このブログなどは、割合素っ気ない書き方で書いている。これは例えば、棒読みに近い朗読のような、分かる人は分かるだろうと言う感覚に基づく書き方だ。しかし例えばアメブロで書いている『個人的な感想です』などではなるべく丁寧に、ここまで書かなくても伝わるんじゃないかと思っても、より徹底的に分かりやすく書くことを心がけている。

 

どの辺りを正解と考えるかは、なかなか難しい。内容にもよるのだと思う。しかし私もなんと言うか、なるべく表現を切り詰めていきたいという傾向があって、より素っ気なく書いても伝わるように書いてみたいと言う気持ちもある。しかし実際のところは、自分ではくどすぎると思うくらいに書く方が、受け取る方にはちょうどくどくも素っ気なくもない感じになっているのかな、という印象が今はある。自分と同じ前提を共有している人はあまりいないのだから、説明しすぎてし過ぎなことはないのが実際のところかもしれないと思う。

 

高畑監督は、素っ気ないと思われそうな線のアニメーションでくどくなく実感を持たせるということを実現させているわけで、それを太田は絶賛しているのだ。やりたいことをやりながら、多くの人に見てもらい、興行的にも成り立たせる。それはある種の神業だが、というか結果的にはなかなか興行的に成り立つというには無理がある制作費がかかってはいるのだけど、動員という点ではかなりの成績を出しているのは凄いと思う。

 

私の文章もこの8年越しの作品並みにするのは難しいけれども、まだまだ工夫の余地はあるなと思った。

 

 

それは表現というものがいつもぶつかる、普遍的な課題の一つなのだと改めて思ったのだった。

磯崎憲一郎「終の住処」を読んだ。(その1):「われわれの世代の小説」が現れたと感じた。

終の住処

 

磯崎憲一郎「終の住処」を読んだ。

 

面白かった。冒頭を読み始めたときは「この小説最後まで読めるのかな」と心配しながら読んでいたのだが、最初の新婚一日目のエピソードまで読み終わったところで芥川賞の選評を読み、また6ページにわたる作者インタビューを読んでからふたたび読み始めたら、この作品のつぼというか面白さが見えてきて、そのあとはほぼ一気に最後まで読んだ。作者は1965年生まれ、私より三歳下で、ほぼ同世代と言っていい。この作品は、私たちの同世代の男であれば、かなり多くの人がその面白さを充分に感じ取ってくれるものだと思う。今までなかった「われわれの世代の小説」がついに現れたという感じだ。しかし40代になって初めて「われわれの世代の小説」が現れるというのも、われわれの世代の晩熟性が現れているなあと思う。

 

「われわれの世代」は、80年代から90年代にかけての「終わりなき日常」の時代を生きてきた。主人公の11年間の女遍歴、妻と口をきかなかったというか妻が口をきいてくれなかった11年間のだめだめぶりが、まさに「終わりなき日常」ってこういうものだったよなと思わせる。小林よしのりは「終わりなき日常などない」、つまり日常というものは幻想だ、と言って宮台真治を批判したが、宮台の言っていることはテーゼとしてそういうことを言っているというよりは、その日常というものを愛する方法としてそういう言葉を考え出したんじゃないかなと思った。

 

とにかく毎日生きているんだが、どうもなんだかしっくりこない。30歳を過ぎてから付き合い始めるということは結婚を意識せざるを得ない、という理由で結婚生活という日常に入ってしまった主人公は日常がどういうものかつかめずまごまごしてしまう。「妻の機嫌には何か周期的な法則があるのではないかと考えた。」という文には笑ってしまうが、それを読んで頷かない男は少ないだろう。「別に今に限って怒っているわけではない」という妻の反応もコワイが、それもわかる、という感じだ。「目的地に向かって歩いているつもりが、知らず知らずのうちに道のりそれ自体が目的地とすり替わってしまう」というのはまさに結婚そのものの謂だろう。しかし結婚したことで彼は変化し、仕事で信頼を得ると同時に女性にももて始める。「くだらない女」とつきあい、「理想の女」と付き合い、「生物の教師」と付き合い。このあたり何というかほとんどギャグだ。

 

そしてこのギャグがいとおしい。作中に出てくる主人公の思考はほとんどギャグなのだが、これがすべてそうそうわかるわかるという感じの、でもそりゃダメだよな、という感じの思考で、実にいとおしい。起こる事ごともコメディというかペーソスというか奇妙なおかしさがあり、選考委員が使っている「歪んでいる」という言葉よりは、こんなことが起こったらおかしいなというようなことだ。

 

(その2)に続きます。

 

この感想は2009年8月12日にFeel in my bonesに書いたものです。

土方巽の舞踏『夏の嵐』をYouTubeで見た。目の覚めるような舞台だった。


Summer Storm - Tatsumi Hijikata (1973) - YouTube

 

土方巽(ひじかた・たつみ)の舞踏をYouTubeで見ていた。目の覚めるような舞台だった。

 

今まで舞踏系のものは生でいくつか見ているのだけど、録画であるのに今まで見た中で一番よかったように思う。土方というダンサーの肉体の素晴らしさ、美しさというのもあるのだけど、本当にきれいだと思う。

 

今まで自分の見てきた舞踏で言うと、麿赤児大駱駝艦にはすごく生命力を感じたし、和栗由紀夫には可笑しみを感じたし、山海塾にはアート性を感じたけれども、土方巽はそのどれとも違う、踊りとしての美しさ、デリカシー、表現の複雑さのようなもの、またある種ヨーロッパ的な引用のようなものを感じた。

 

特に、上の映像の1分30秒ごろに出てくる女性は、ノートルダム寺院の破風に彫刻された怪物のような感じで、これは凄い、この舞台は絶対いいに決まっている、と思わせるものがあった。

 

大野一雄もそうだったが、土方ももともとモダンダンスの出の人のようで、つまり最初から暗黒舞踏のメソッドで修業したのではなく、日本のモダンダンスの歴史のようなものが体内に入っている感じが表現の複雑さとか陰影というものを醸し出しているのではないかと思った。私は土方さんの踊りも肉体も振り付けも好きだなと思う。

 

土方巽 絶後の身体